投稿者:みれい
最初の出来事は僕が小学校5年生の時でした。
僕は元々内気な性格で、同級生から虐められていました。
また、両親が共働きだった為、虐めを相談することが出来なかったので一人で耐えるしかありませんでした。
その日も近くの空き地で虐められている所を、通りかかったおじさまに助けてもらいました。
おじさまは一人暮らしの方で、当事で60歳くらいだったと思います。
そのおじさまは、また虐められたら自分の家に逃げ込んで構わないよ、と優しく仰って下さいました。
その後、虐められそうになる度におじさまの家にお邪魔するようになり、その内毎日おじさまの家で母親の帰宅時間まで遊んでいるようになりました。
そんなある日、おじさまがとっても楽しくて気持ち良い事を教えてあげると仰いました。
それは相互オナニーでした。毎日毎日おじさまに気持ち良くして頂き、またおじさまを射精に導くと、ご褒美に玩具や食べたいものを食べさせて頂きました。
最初は快感とご褒美が嬉しくて、おじさまのペニスを擦ったり舐めたりしていましたが、その内、おじさまとの情事が大好きになり、毎日僕からおねだりするようになりました。
そして暫くしておじさまのペニスで僕のアナルを開発され、小学校5年生にして毎日セックスをしていました。
おじさまに女としての悦びを教えられ、中学生の頃からおじさまの家ではセーラー服を着てすごすようになりました。
そんなある日、自宅が他県に引っ越すことになってしまい、一旦は僕も引っ越したのですが、おじさまに教え込まれたセックスの味が忘れられなく、家出をしておじさまと二人での生活が始まりました。
おじさまは捜索願を出されているであろう僕の為に、引っ越ししてくれて、女装したら男には見えない僕の為に、沢山の女性用の衣類を用意して下さいました。
それからおじさまと僕は他人からみたら父娘のように、そして家の中では本当の夫婦として愛し合ってくらしました。
おじさまの女として生きる事を最大の幸せと感じていたある日の事、おじさまが癌に侵されてしまい亡くなってしまいました。
僕はまだ高2の年齢でしたが、既に男性からの寵愛を受けなければ生きていけない身体になっていたので、話に聞いていた新宿2丁目を尋ねました。
しかし平日の昼間に行った為に、人通りも少なく、どうしたら良いかも解らずウロウロしていました。
そこに一人の男性が声をかけて来ました。
僕は正直に事情を話し、これからどうして良いのか解らないと伝えました。
その男性は、ならばうちの店に来ると良い。とおっしゃって下さったので、そのまま付いて行きました。
その男性は元ヤクザで、ゲイ専門の会員制出張SMクラブの店長でした。
それから数週間の間、マゾとして開発・調教され男性の合格点が出たら客を取らされました。
そしてある日、超本格的な御主人様に出会いました。
その方のする事全てに悦びの反応を示してしまい、また今まで見た事の無いような巨大なペニスでアナルを責められると何度も何度も射精をしてしまいました。
御主人様も女のような僕をとても気に入って下さり、毎日の様に指名をして下さいました。
そんなある日、御主人様が僕に専属の奴隷にならないか?と仰いました。
でも御主人様の指名もあってNo.1になっていた僕を店長は簡単に逃がしてくれないと言いました。
しかし、僕はそのまま店に戻ることはありませんでした。
御主人様は店のオーナーだったのです。
御主人様は自分好みの女装マゾを探し育てる為に店を経営していたと言うのです。
そして僕が御主人様に選んでいただけたのです。
普通だったら、身体にメスを入れられ殆ど自由の無い性奴隷としての生活なんて考えたくも無い事かもしれません、でも僕にとっては御主人様に調教して頂いて、大きなペニスで悦びを与えて頂ける生活以外考えられません。今晩も御主人様に・・・・。
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